出鱈目

出たサイコロの目を受け入れて生きるー出鱈目

本気で考える

本気で考えるとはどういうことか?
それがどういう意味を持ち、それがどうプラスに寄与するかを考えることではないか?
場当たり的に考えると正当化したり他責にしたり批判したりという考えが出てくるが、基本それは何の意味もない。
努力が道を開くのではなく、試行錯誤が道を開く。努力のするしないで結果は変わらないが、考えるのと考えないのでは結果は異なる。と思う。努力しなくていい、常に真剣に考えることだ。

補足で追記。
考えるの語源は「カムカヘル」で、「カ」は、「住処(スミカ)」「在処(アリカ)」の「カ」、場所・ある点を意味し「ムカヘル」は、両者を向き合わせる、つまり、二つの物事をつき合わせてその合否を調べ質す(ただす)意味とのことらしい。これはとても興味深いというか目から鱗。
思いを巡らせたり掘り下げることは考えるのではない。
考えるには、①2つの物事をつけ合わせ、②その合否を調べ、③質す(ただす)という3つのステップがあり、考え続けるとはこのステップを何度も回すことだと感じた2月末日。