出鱈目

出たサイコロの目を受け入れて生きるー出鱈目

本日より夏休み

今日から日曜まで5連休の夏休み。
5時に起床して昨晩用意した荷物の最終チェックをして奥さんの実家へと帰省するために子供の準備の尻を叩きつつ東京駅に向けて家を出る。
指定席はとっていないので自由席に並ぶわけだが盆でもこの朝の時間なら出発30分前にでも行くと余裕で座れる。車内で食べる朝ご飯やお土産の調達もあるし、出発の10分前には電車は来ることを考えると差分のバッファの20分などは一瞬で無くなる。
とにかく東京駅の始発はとても自由席には便利な訳なのである。あとは偶数番号の車両を選ぶとか、座席に電源がある列車を確認しておくとか、混むことを考えできるだけ車両の中央を選ぶとか(混みだすと車両の端は人が立つのと、ドアの開閉が多くて安定しない)、あと幾つか細かい点はあるが、その辺のポイントを抑えておけば、有意義な時間を過ごすことができるのである。と言いつつ、ほとんどの時間を寝て過ごしてしまった訳だが、同じ金額を払うならば、最高効果をだしたいよねと。同じ金額を払ってトイレの前に立って自由席に座ってトイレ行く人達に煩わしいと思われながらストレスを溜める夏季休暇のスタートなど全くもって相容れないのである。
ということを、まだ20代前半の独り身だった時に二、三度立って帰った時に感じてからは、どんなに盆や正月の自由席だとしても、必ず座っているのである。
本当に細かく新幹線の運賃を分解してみると、決められた時間で体を出発点から到着点までを運ぶ輸送料以外にも、リクライニング料、電源料、荷物棚料、座席料、テーブル料、景色料、温度調節料(カーテンやエアコンの風向き)、電光掲示板のニュース料、上着掛けホック料、座席前の荷物入料、肘掛料が、運賃には含まれているのである。これらを使えない状態で乗り込むことは非常に損をしている、他面から見ると、自由席で座る奴らの分まで、わざわざ払っているという、耐え難い事実にたどり着くのである。
しかしながら新幹線の移動はやはり良い。頭の中を何時間もすすいでいるイメージ。同じとこに留まらない方が、やはり何かと良い。たぶん。